─愛が動悸なの─

ミステリマガジン 1996年5月号 掲載
 少女漫画家としてデビューした頃、私は「恋愛」の描けない漫画家だった。
 変に小手先のストーリーを頭の中だけで考えていたせいか「主人公が恋をしていない」なんて致命的なことを担当編集者に言われたものだ。
 当時私には中学のときからつきあっている彼がいて(現在の夫)、一応恋はしていたはずなのだが、長くつきあっていたために馴れ合いになっていたのが敗因らしい。
 「もっと主人公の感情を描写しなくちゃダメだよ」と担当氏が言うから、気持ちを掘り下げてみようと努力はしたのだが、どうもうまく行かなくてアンケートは下がるばかり。しかも「野間さんの漫画は分かり易すぎて恋愛のスリルやときめきがない」とまで言われる始末。
 「このままでは漫画家として終わってしまう」
 そう危機感を覚えた私は、自分の趣味を全開にして勝負を賭けることにした。
 デビュー当時「ミステリが描きたいんです」と言ってみたものの、ノウハウもわからない上に「10年早いんじゃない?」と言われて押さえていたものを思い切って出してみることにしたのだ。
 そうして生まれたのが「パズルゲーム★はいすくーる」である。
 本格ミステリを目指したので登場人物の感情なんかはどうでもいい。主人公の恋愛部分は邪魔だから「馴れ合いカップル」ということにして簡単に済ませ、事件そのものを作ることに専念した。
 舞台が高校だったので、事件は当然恋愛絡みにはなるが犯人の動機として必要なだけだからステロタイプの恋でいい。肝心なのはトリックだ!
 描き始めの頃は試行錯誤の連続だったが、何本か描くうちにこつを覚え「パズルゲーム★はいすくーる」は軌道に乗った。
 ところがどうだろう。それまで「野間さんは恋愛ものが下手」と言っていた編集者が「人物が描けてきたね」なんて言い出したのだ。
 これには驚いた。だって私は恋愛が描けないからミステリの設定で話を強引に持っていこうとしていたのではなかったか?
 あまりの不思議さによくよく考えてみると何となく謎が解けた。つまり私は人物の感情が掘り下げられなかったわけだが、仮にその掘り下げをメートルで表すと、私の掘り下げられる人物描写の穴の深さは1メートル。読者の求める深さは3メートル。2メートル足りなかった。
 だが、そこにミステリの謎が加わると感情の穴の回りに2メートルくらいの柵を作ることができるらしいのだ。
 読者は話を理解しようとその柵をのぞき込む。すると柵の高さがある分穴の深さは3メートルに見えるというわけだ。
 仮に「幼なじみのボーイフレンドがいる女の子の前にオトナの雰囲気漂う男が現れ、二人の間で気持ちが揺れるが最終的に幼なじみの彼のことを好きだと気づく」という百万回読んだような話を作ったとしよう。
 もちろんそんな話をそのまま描いても読者は呆れるし第一編集会議に通らない。ところが、そのオトナの男が実は犯罪を犯していたとしたら?
 ストーリーは一気に複雑になり、主人公の女の子が事件に巻き込まれることで読者はスリルを味わう。幼なじみの彼が事件を解決してくれでもしたら、今まで見えなかった魅力も見えようと言うものだ。
 二人の関係は事件を入れなかった話のときとなにも変わってはいないのに、人物の描写が深くなったような気がするではないか。
 「恋のスリルは事件のスリルで代用できる。恋愛成就の幸福感は事件解決のカタルシスと同じものだ。」
 この発見に私はほくそえんだ。しかも、話を簡単にするために設定した「馴れ合いカップル」がかえって読者には新鮮に写るというおまけまで付き、話が分かり易すぎるという欠点は入り組んだ事件でもすっきり説明できるという長所になった。
 かくして私は「愛のミステリ漫画家」となったのである。(笑)
 しかし、こうして「ミステリにおける恋愛」なんて特集が組まれるにあたって改めて考えて見ると、どうやら本格ミステリの世界では「恋愛」は特殊なもののように思う。「愛」が純粋に動機になっている本格ミステリをすぐに思い浮かべることができないのは、やはり愛が動機の事件は感情的すぎて、凝ったトリックを仕掛ける犯人像には合わないからなのだろうか?
 現実に起こる事件では、「痴情のもつれ」を始め、恋愛がらみの犯罪はごく一般的なように思えるから、文章にすると陳腐になってしまうのは仕方ないのかも知れない。
 だが、読者の立場で考えると、ミステリの中の印象的なシーンは例えばホームズが「あのひと」と言う場面だったり伊集院大介の昔話だったりするから、やはり味付けとしてのインパクトは相当なものなのだろうと思う。
 そう考えると、私はもっと本格ミステリの中でも恋愛が読みたいし、できればそれは核になる登場人物の事情だったりする方が楽しい。
 たとえそれがテーマでなくても、だ。
 私はミステリを使うことで恋愛を描くことに成功した(と思う)が、小説の世界では恋愛を使うことが本格ミステリをより深く描くことになっていればいいなと思う。